武芸に限らず何事でも上には究極のないもので、塚原小太郎勝氏、後の塚原卜伝という人のためには、師匠の上泉伊勢守さえも三本に二本までは勝ちを取られたという位でありますから、余程の名人であったのです。

父は笠間の城主で五万石、塚原土佐守で剣術の名人でございました。小太郎勝氏、子供の時分から剣道はなかなか達者で、土佐守も懇ろに仕込み、臣下の山本新吾左衛門からは鞍馬八流を習い、十三歳の時分には実に人々が驚くほど位に上達を致しました。

さりながら、さらに良い師匠を取らせたいというので、段々に選びますと、その頃東国の麒麟と呼ばれた上州箕輪の城主、上泉伊勢守秀綱という人がございます。これは新影流の元祖で、門人は一万人、当時まず日本一だと名高い人でございますから、小太郎勝氏も上泉伊勢守の門に入りました。

門下には丸目蔵人、磯端伴蔵、神宮寺伊豆、柳生又左衛門の四天王を初めとして、腕前優れた者が揃っております。彼らに混ってなおも剣道の修行を致すうち、十六の時には卜伝の上に出る者はいないという位、人呼んで上泉の小天狗などと申しまして、その腕前は伊勢守も師に勝ると仰せられたほどでございます。

changed July 9, 2011