豊臣秀吉 真龍斎貞水口演 石原明倫速記

豊臣秀吉 上

エエ太閤秀吉公は、天文五年正月元旦寅の一天にお産れになりました。

この方は信長に使えましたが、信長というお方は素戔嗚尊の再生でございます。秀吉は日本武尊の再世、家康は武人八幡宮の再生としてございます。

かよう申し上げれば、言葉に決して失なし、この秀吉という人物は、従一位関白にご昇進あそばしました。

当今は御位が進んでおりまして、従一位の方、正一位の方がおられます。近くは三条実美公が正一位に任ぜられました。

しかし神武天皇以来、生前に正一位を位を賜った方は、わずか五本の指の内でございます。昔は従一位と来ると、実に位の上なしでございました。

なんで尾州愛知の中村から出た人が、あれほどの官位を朝廷から賜わったかというと、秀吉という方は、その実は築阿弥弥助の胤ではない。恐れ多くも、さるやんごとなき御方様の御胤ということにコリャ相分っておるというお話がございます。

日本外史のうちにも、それとなく秀吉の母が妊娠したことを掲載してございましょう。

その一方で、確かに秀吉は築阿弥弥助の子であるという話もある。どちらにしても、ここまで出世致しましたことは、大したことでございます。

その秀吉の母のお仲というのが、いよいよ十月十日の月満ちて産れるかと思うと生れない。皆が心配をしております。

ところがまた月が述びるのは却って良いと慰めてくれる者もあるんで、それもそうかと大きに安心をしております。

しかし丁度十二ヶ月が来ても産れない。十三ヶ月になって、天文五年申年正月元旦の寅一天、いよいよ産所に於て虫がかぶって来る。

弥助「サア、しっかりしてくれ。今に観応院様へ云って、仙洞和尚に願って安産のお守りを貰うからしっかしりろ。おい、これより早く観応院へ参り、和尚様がいらっしゃいまするなら、産のお守りを下さいと云って貰って来い」

夫の弥助が云いますから、

下男「ヘイ、畏りました」

と、弥助の家の男が飛んで行った。この中村の観応院の和尚は、小寺に似合わしからん豪い和尚で、

和尚「なにか用事か」

下男「旦那様、お早うございます。弥助の家から参りました」

和尚「ハア弥助の家から。それで安産のお守りを貰いに参ったか」

下男「よくご存じでがす。その通りで」

和尚「イヤ安産のお守りをやらないでも、お前が帰る時分には易々と男子が出生している」

下男「どうしてそんなことをご存知で」

和尚「本日の未明の頃に、観音のお扉がギイッと開いた。それでハハア弥助の家に於て、安産があるというなァ先に知ったのじゃ」

下男「ハアそうでございますか」

ソコデ男は取って返して、

下男「旦那、仙洞和尚様がお守りはいらないと仰いました」

弥助「左様か。その方が道に出たところ男子が出生致した」

下男「それはお目出とうございます」

こうして近所の人が来る。湯物を使わせる。産衣を着せる。恐しい真っ赤な子だ。もっとも産れたては赤いに違いない。赤子というくらいだから……

女房の身体はナカナカしっかりしておりますし、弥助は喜んで赤子を明りに当てまして、よくよく見ると、額の所に筋が沢山あって、コリャまあ猿にそっくりでございます。

弥助「ウン、マア男を産んだから喜べ」

女房「ハイ」

そんなことを云ってる所へ、男ども女どもが集まって、

○「旦那様、良いお子様でございます。ハイ、ちょっとソノ、桃太郎さんのお供に似ておりますな」

弥助「ナゼお前はそんなことを云う。悪口を申すな」

ここに仙洞和尚もやって来る。

弥助「どうも和尚様、ありがとうございます」

仙洞「ウーン、私も一つ子供を見たいものだ」

弥助「どうかご覧なすってください」

そこでそれへ連れて参りまして、仙洞和尚が抱いてみる。

仙洞「なるほど……。ウーンこれは大変な子が産まれたな」

弥助「ヘエどうでございましょうナ。子供のうちに人相が分りましょうか」

仙洞「そりゃ産れだちでも、此の子の人相が分る。大したものだ。眼の球が異なっている。非凡な所が面体より現れているぞ。瞳が二つある」

弥助「ヘーッ。眼は誰でも二つありましょうが」

と云う途端に夜が明け、数千羽の烏が東に向って陽声を発っする。

仙洞「よく見なさい。眼の中に瞳が二つあるだろう。これを重瞳と云って千人が万人でも二つとある者はない。実に不思議な相だ。これがスラスラと成長すると恐れ多くも天子の御座に近く進む。なにしろ恐れ入った。大切に育てろ育てろ」

弥助「誠にありがとうございますが、どうかお名付けを」

仙洞「アーよろしい。七夜に参って名を付けてやる。月も長く母の胎内にあったものは、良いと申す。女房にも喜ぶがよい。必ず名をなす人だ。先頃当国から日本の全権を握るような豪傑が産れるということを知ったが、恐らくこの子であろう」

どうも弥助は喜んだ。

弥助「どうか仰る通り日本の全権を握れるような子になれば、こんな喜ばしいことはございません」

もっとも母の胎内に長くいた人が名をなすというのは、昔からの言い伝えでございます。

応神天皇は、御母神功皇后の御胎内に三年三ヶ月、馬韓辰韓弁韓の三韓征伐をしてお帰りになるまで、お在いであそばしました。後に八幡様にお成りあそばすお方だから、腹にお在いであそばすうちから、違った所があった。

また武蔵坊弁慶は、三十三ヶ月で出生を致しました。

生れながらにして産婆さんの湯の加減が、チト熱すぎると癇癪を起して、婆さんの襟首を取ッつかまえて投げること三町ばかり、マサカそんなことはしやしません。

しかし猛勇に違いない。

また唐土の老子と云う人は母の胎内に八十三年いて、出た時には禿頭にチョロチョロの白髪頭、上下の歯が抜けて杖を突っ張って飛び出して、産婆さんも驚いた。

産婆「マアマアお爺さん、どちらから御出でなすった」

婆さん、赤子と爺さんを取り違えていやアがる。

それはともかくとして、七夜には約束の通り仙洞和尚がやってきた。

仙洞「この子の名前は藤吉郎としてよろしい」

弥助「ヘエー、藤吉郎。ウーム、あんまりジイさんみたいな名前じゃございませんか」

仙洞「これはわしが地蔵尊のおみくじを取って拵えて来た名前ジャ。よって迷わず藤吉郎と付けなさい」

一説に日吉丸やら猿之助やら申しますが、太閤は昔より藤吉郎でございます。けれど子供のうちは藤吉郎は呼び難いものでございますから、藤吉、藤吉と呼んだそうでございます。

この藤吉郎の秀吉は虫もなく、追々と成長しています。誰が云うともなし、弥助どんの家の子は猿の様だと村中の者が噂しますが、弥助は大切に育てている。

この藤吉が三歳の時、筆と紙を前にして、始めて書いた文字が山と川だと云い伝えられております。それを弥助が、

弥助「藤吉や、その書いた紙をお父さんにお見せ」

と云うと、藤吉郎が、

藤吉「いやだいやだ、これが山と川だ。人になんかやるものか。日本中の山と川は、みんな坊のものにしてしまうんだ」

と書いた紙を丸めて懐に入れてしまった。弥助はハタと手を打って、

弥助「山と川を自分の物にしてしまうとは、この塩梅だと追々は本当に日本を呑んでしまうぞ」

と感心をしたことにございます。

そのうちこの藤吉郎が成長しまして、悪戯ざかりになると手が付けられない。

○「弥助さん、今日外で子供の声がしておる。大方戦争ごっこでもしておるんだろうと思い放っておいたら、お前の家の藤吉が稲藁に火を付けた。捕まえて聞いたら、隠れた子供を燻り出すんだと吐かしよる。戦争ごっこの焼き討ちはチト困る。手がつけられねぇから、なんとか小言を云ってくらっせぇ」

弥助「どうもお気の毒な、散々に小言を云うんだが、些とも云うことを聞かない困った奴でございます」

弥助は頻りに心配をしておりますが、どうも悪戯だが親思いだ。親父の云うことは、ハイハイと聞く。聞いてもすぐに悪戯をするから、皆が苦情ばかり持ってくる。仕方がないから十歳の時に奉公に出した。

ところが奉公に行っても逃げて来るんで、最初は三ヶ月我慢した。次には一月、それから半月、今ヂャ三日ぐらいになっちまった。清洲の城下ありとあらゆる数十軒を、徘徊して奉公をさせた。一度は寺で小僧となったが、そこでは仏像を叩き壊して追い出されてしまった。

モウ札つきになって、

△「弥助のところの藤吉なら御免を被る」

ということになった。

仕方がないから、清洲の城外で青木勘兵衛という棟梁、後にこれが熱田に来て大工の棟梁として、徳川様の御代に独礼席をお許しになったくらいの棟梁でございます。それへ奉公にやる。

○「ヤイ藤吉、なにをグズつかしてやァがる。早く持って来ねぇあ」

藤吉「ヘェ」

○「ヘエヂャねぇ。道草をしてベラ棒め。大の男を馬鹿にしやぁがる。手前が遅いんで腹の造作が狂っちまう」

コツーン、と一つ頭を殴る。これを見て棟梁は承知しない。

頭領「ヤイなにをしやがる。ナゼ藤吉の頭を殴リャがった」

○「ヘエ」

棟梁「手前たちァ少し弁当が遅いと愚図愚図云いヤァがるが、この小僧は雪が降っても寒いってことを云わず、幾ら夜まで起しといたって眠いと居眠り一つもしねぇ、イザ鎌倉と云う時にゃ、夜が明けても眠いたァ云わねぇ。用を云い付けりゃ忘れねぇ。大工の仕事も手前たちのようヂャァねぇ。アー恐しく良く働く野郎だ。悪戯で仕方がないが、年ごろになりゃァ二人前も三人前も役に立つことァ俺が見てる。勿体至極もねぇ。手前たちが使ってるんヂャねぇ。俺の弟子だ間抜けめッ」

○「ヘエ」

棟梁「ヘエヂャねェ気をつけろ」

○「どうも恐れ入りました」

棟梁「恐れいらなくてどうするもんか……オイ藤吉」

藤吉「ヘエ」

棟梁「大きにご苦労」

藤吉「ヘエ」

棟梁「休息しろ」

藤吉「ヘエ」

棟梁「その年にしちゃ、よく重てェものをここまで持ってくる」

スルト或る一日、普請場で大勢人が立って見ている。

藤吉「なにかしら」

と人をかきわけて藤吉が入ってみると、清洲の織田家の御祐筆松波庄左衛門という人が、頻りに板に字を書いている。それを藤吉が側へ寄って、

藤吉「ヤアこりゃ上手に書いてある」

松波庄左衛門は振り返り、

松波「その方、上手いというのが分るかな」

藤吉「恐れ入りました……清洲御多門普請小屋場てえんですナ」

松波「そうだ。よく読めるな」

藤吉「よく読めるって、このくれぇな字は知ってます」

松波「なるほど」

藤吉「失礼ながらお上は学問を遊ばすんですか」

松波「それはお学問なさらんければいかん」

藤吉「左様でございますか……算術はおやりになりますか」

松波「ナゼそういうことを聞く」

藤吉「デモこれだけの城中の大将だから、何日何時に戦争が始まらねぇとも限らねぇ。戦争をするニャ、算術をご存じなけりゃ、兵の進退が出来ないと私は思います」

松波「その方は大工の小僧に似合わぬことを云うな。もっとも算術をなさる」

藤吉「そりゃそうでございましょう。算術はナカナカ深いもので。それはさておき、彼方はどうも良いお手ですナ」

松波「生意気なことを云う。ご祐筆は手が好くなければいかん」

藤吉「旦那様はこれで、どのくらいのお高をお取りになります」

松波「九十石……それでこのご祐筆の他にも、種々お役を勤めておる」

藤吉「ヘーそれでこの位お書きになるまでには、何年ぐらいご修業になったもので」

松波「此の方は十年学問をした」

藤吉「ヘー十年で九十石で」

松波「その他にもなんのかので、百石くらいは相当しておる」

藤吉「ヘー」

松波「豪いだろう」

藤吉「ヘヘヘッ」

松波「何を笑う」

藤吉「どうも人間、時を知らなければいけない。時世の変遷を知らなきゃ、人間は出世しない。あなた十年の間、槍か剣術を一所懸命に修業すりゃ、今は乱世ですから、その槍か剣術の腕前を以って戦場へ出て、兜首を取りゃ千石や二千石位はご出世なさる。それから先は器量のあり次第、それを十年も筆を勉強して、貰うのはたったの九十石、情けないもんですナァ」

松波「無礼なことを云うナ」

藤吉郎、頭をビシャリと殴られた。打たれたんで、ご普請屋へ逃げ込んで来る。

棟梁「コリャ藤吉」

藤吉「ヘエ」

棟梁「なにか失策じったナ」

藤吉「ヘエ、ご祐筆に頭を殴られました」

棟梁「またなにか悪口を云ったんだろう」

藤吉「ヘエ」

棟梁「困った奴だ。藤吉、これからは悪口を云っちゃならねぇぞ」

藤吉「ヘエ」

と、頭を殴られて藤吉は考えた。

藤吉「アアつまらねぇ。俺はモウ大工一通りの事は覚えた。どういう建てかたをすれば、家というものが出来るのかくらいは呑みこんでる。これから先は、武芸を習わなきゃァいかねぇ。年年歳歳花同じ、人同じからず、これは思案をしなけりゃならねぇ」

とソコで中村へ帰ることにした。中村の少々手前のところに、檜の大木がある。それへ腰かけてスッカリ考えました。この考えたときが秀吉十二歳、この藤吉が一時大工になっていたから、後に三日の割普請が出来た。職人の使い方が他の大将とは違う。

文武の両道だから、大将になるには強いばかりヂャいけない。

さて藤吉十二歳の時に、三十歳以上の人の奮発があった。

藤吉「これはもう家には帰らないで、俺は武芸を習おう。好い師匠を選ばなきゃナラン、その為ニャ相応の場所へ行かなきゃならんな」

後にこの檜の木の所に太閤山定心寺というのを建てたのは、ここでスッカリ決心をしたからだ。

それから中村には帰らないで、スタスタやって来たのは三州岡崎の手前、一人の武士が、鉄張りの陣笠に武者草鞋を履いてドンドン急いで来る。藤吉郎、その顔をヒョイと見て、ズット先に出こして、

藤吉「旦那、お武家様、根付の紐が解けております。足にからむといけませんぜ」

武士「アーそうか」

と紐をなおすと、藤吉郎の顔を見て笑った。それなりで行き過ぎようとするから、藤吉郎はパッと追い掛けて、

藤吉「モシ、お武家、先刻お前さんは笑ったな。ただ今紐が解けていることを教えてやったのに笑った。礼も云わずに人の顔を見て笑うてなァ、失礼ヂャありませんか」

その武士は振り返り、

武士「小僧これは拙者が悪かった。大きにありがたい」

藤吉「それならそれで良うございます」

武士「その方はどこへ参る」

藤吉「私はどことも定めがない」

武士「一体どこの者だ」

藤吉「尾州です」

武士「なにか失策じりでもしたのか」

藤吉「イイエ奉公に行ってたんですが、少し考えることがあって飛び出して来たんです。家に帰っても母親が変り者だから帰らない。面倒だから」

武士「そりゃ親がさぞ心配するだろう。子として親に心配をかけるというのは、道ではない。銭を少々やるから帰ったらどうだ」

藤吉「ご親切はありがとうございますが、私の望みを達するまでは帰らない」

武士「それヂャ岡崎の宿所へ一緒に歩け」

藤吉「それじゃ参りましょう。旦那、お荷物をもって参りますぜ」

武士「そりゃ助かる。ヂャあ持ってくれ」

振り分けの荷物を渡す。

藤吉「大層重とうございますな。こりゃ余程入っている」

武士「気味の悪いことを云う小僧だ」

しかしナカナカ面白そうな子供だと、岡崎の料理屋へ入ります。

武士「サア飯を食え」

藤吉「ありがとうございます」

藤吉へお銭を二百くれる。永楽銭だ。それで藤吉は飯を馳走になっている。武士は酒肴をあつらえたが、向うに刀屋がある。その刀屋へ行って刀を出して頻りに見ていると、それが関の孫六だ。

武士「亭主、これは三十金より負からんか」

主人「まことにお気の毒さまでございますが、それより一銭もお掛け引きございません」

武士「そうか、一つ思案をしよう」

飯屋に帰って来て酒を飲んでいる。飯を食い終った藤吉は、

藤吉「旦那ありがとうございます」

武士「大きにご苦労だった」

なにを思ったか、藤吉、そのまま向うの刀屋にやって来た。

藤吉「ご亭主」

主人「ヘエ」

藤吉「ただ今、俺の旦那が見た関の孫六の刀、お前の方では三十両より負からねぇと云うんだな」

主人「ヘエ」

藤吉「ソレを私が旦那に勧めて、一つお買いなさいと云えばきっと買う。欲しいんだけど、考えてるんだから」

主人「ヘエそうですか」

藤吉「どうだい。俺が旦那に勧めてあげる。その代り三百おくれ」

主人「ヘエ売れさえすれば差し上げます」

藤吉「どうせ売れるに決ってるんだから、是非とも先にくれ」

主人「ヘエ」

いよいよ三百の銭を貰い、孫六の刀を預かって、

藤吉「ヂャぁチョット見せてくる」

と店を去った。その刀屋では向うの家だから安心をしている。そこに付け込んで藤吉は、飯屋に入らないでどこかに行っちまった。亭主は何時までたっても沙汰がないから、聞き合わせると、武士は、

武士「そんなことは知らんぞ。あれは岡崎に入る手前から、俺が連れて来てやった小僧だ。驚いたなぁ」

主人「エー、知らないじゃ済みませんぜ」

と刀屋は八方に人を出したが、藤吉は即座にそれを知り、橋の下に隠れた。夜になると、岡崎の橋の上に現われて、

藤吉「アーありがたい。西塔武蔵坊弁慶は千本の太刀を集めて平家調伏の祈りをした。我は一本の名刀を得て、これより志しを遂げる。アー喜ばしや」

また橋の下に入って眠ってしまう。それから夜の明けないうちに、この岡崎を発って遠州の浜名へ来る。このところ、駿河守源朝臣今川義元が老臣、浜名豊前守正照の城でございます。ここに来て、まず城下の安旅籠へ泊り、往来に出て毎日武士の様子を見ている。

だんだん話を聞いてみると、松下嘉平治綱元、これが一日通行をする。ソコデ馬上だから、ツカツカと側へ寄って、

藤吉「お武士様、お願いがございます」

馬を止めて藤吉の相貌を見て、

嘉平「なんヂャ」

藤吉「私は一振り刀を所持しておりますが、只今困っている者、どうか先祖から伝えたる刀をお預け申しあげるによって、私を彼方のところへ奉公人にお使いください」

嘉平「ナニ先祖から伝わる刀を預けるから、奉公人に使いくれと申すのか」

藤吉「ハイ」

嘉平「ナカナカ面白いことを云う」

藤吉「ハイ」

嘉平「しからば参れ」

藤吉「ハイ」

山崎喜一郎と云う家来が同道し、屋敷へ来る。

嘉平「お前は何歳になる」

藤吉「十二歳になります」

嘉平「名前はなんと申す」

藤吉「名前は中村藤吉郎と申し、尾州の愛知郡中村の弥助の倅でございます」

嘉平「ハハア、苗字を名乗る。それは感心、武士奉公がしたいのか」

藤吉「ハイ」

嘉平「刀を見せろ」

スルトこれが関の孫六だ。

嘉平「ハアこれはこれは立派なものだ。ヂャアこれを俺が預かってやる。その方が成長をしたら、小刀を拵え大小としてつかわす」

ソコデ嘉平治に倅がございますから、お守りをしている。藤吉郎は子供を引きつれ、始終武芸の稽古を見ている。松下嘉平治は破軍流という剣術を使う。それを見て急所急所をこうしてと覚えている。

アー打ち込んで来た時はこう受ける。こう打ち込んで来た時はこう身体を開く、藤吉郎は、それでスッカリ槍の使い方を覚えてしまった。

この太閤秀吉という人は、智恵だけで天下を獲ったと思われているが、それだけジャなかなか獲れるものじゃございません。十分に勇もあった。槍を取ってみても、指南番くらいには負けるような腕前ではなかったのでございます。

夜は夜で大勢の若武士が、軍学の稽古に来る。その軍学の稽古に来るのを、襖の外に座って聞いては、なにやら考えている。

こうして一から十まで、そいつをズッと腹にたたんでしまう。軍学というものは、ナカナカ二年三年四年五年十年くらいで、覚えられるものではない。それを藤吉郎は、急所急所を書き取っておいて、後で自分で考える。恐しい奴で、それで学問というものは、一通り治めてしまった。

あとは才力の働き、智を振るわなければ役には立たん。いくら読み書きが出来るのと云っても、大書記官で止まるもの、それより胸三寸智略の働きで天晴れな人になれる。藤吉郎はそんなことばかりを考えている。

他人が三年かかって覚えるものを、半年で覚えてしまうのだから、豪い者でございます。

この藤吉郎は直接に師匠を取って、軍学を学んだということはない。それで軍学を収めた堂々たる名将たちを相手に戦いをして、負けたことがないという男でございますが、それは後のお話、いよいよここで十分に修業を致しておる。

二十歳の時に藤吉郎はなにかあればと思っておりますると、弘治元年二月の某日、相洲小田原の城主北条相模守氏康左京太夫氏氏親子が、二万余人の軍勢を引きいて富士川に出陣をする。

藤吉郎、初陣の功名を現わすのお話、次席に申し上げます。

豊臣秀吉 下

北条の出陣を藤吉郎は喜んだ。

藤吉「こりゃァありがたい。いよいよこの戦いが始まって来たら、戦場にお供が出来る」

ソコデ松下嘉平治に願いました。

嘉平「その方は若年なれば、戦場の供は止めたら良かろう」

藤吉「是非ともお供を願いたく思います」

嘉平「是が非でも供をしたいと云うが、戦場へ参ると万々一討死をしないとも限らん」

藤吉「それは致し方がないと覚悟をしておりますから、どうかお連れ下さい」

嘉平「それほどその方が熱心ならば連れていってつかわす」

ソコデいよいよ古い鎧一領兜一刎、大小槍一筋を主人から借り、どうも嬉しくって仕方がない。

藤吉郎は富士川まで供をしてくる。主人は小荷駄奉行を司り、今川家の軍将は駿河国、田中の城主朝比奈備中守豊平、この軍将の下知に従って、遠州浜名の城主豊前守、己の組下一統へ陣触れに及ぶ。

旗本の面々、種村、石堂、神谷、松下、その中で小荷駄奉行を司るのが松下嘉平治、六百人の兵士を率いて、富士川の河原の下手へ下って幕串を打ち、幕を張り廻し三十六ヶ所へ鎌を供えて、番号の上りを押し立てて三日の滞陣、藤吉郎は自分の陣中から敵の陣取りの工合を見ると、北条の先陣は赤地の庵に木瓜の紋のついたる大旗に同紋の馬印、ドウドウと押し立っている。

これが北条家名代の伊豆の国伊藤の城主、伊藤入道佑親の末子九郎佑清の後胤、十代目伊藤丹後守佑持の末子伊藤日向守平佑国、それへ続いて大道寺殿、出羽守、倉鹿備中守、北条左左衛門太夫、北条千代丸、左京大夫、相模守、いずれど家々の紋のついたる大旗馬印を押し立てたり。この時に藤吉郎は、

藤吉「アー勇ましいものだ。合戦というものがどういう有様か、一つ見てやろう」

思わず抜け出して参りまして、夜の引き開けに富士の高嶺を見ました。

藤吉郎、兜を抜いでドッカリ座り、

藤吉「なにとぞ今日の戦いに、我に大功を立てさせたまえ。しかる時には日本の宗社として、富士浅間を崇めたてまつる。我に巧を立てさせん時には、富士の山を削って平に致させる。なにとぞ富士浅間」

と拝んでいるうち、春の夜の明けやすく、北条の陣中はドシドシ押し太鼓を叩き立てると、ウワアーッと鬨の声を挙げ、先手の伊藤日向守三千人が川ばたに乗り出したり。

歩行だちの者は竹筏を組んで押し渡り、弓と弓を押して、馬筏を組む。

日向「内兜を射られてはならんぞ。余りにうつむき、兜の天辺を射られるナ。眉庇をゆるして頭を上げ、騎士にのぞんで槍を組め」

波あふれるといえども、この人数に及ばず。富士川の瀬を押し渡る。

今川の先陣の朝比奈備中守は、味方の戸部新左衛門、小坂右近、この両人を伏勢において、武州の大将である伊藤日向守に破られると見せて、敵を深く引き込み大戦に及ぶ。

その勢いと云うものは前代未聞、初陣の藤吉郎はナカナカ出ることが出来ない。

しかたがないから、遠くへ離れて薮の中で戦いを見ている。どうも恐れ入ったもので、敵味方の旗が合っては分れ、分れては合うという実に物凄い有様でございます。

そのうちトウトウ計略にかかって伊藤日向守が破れて敗軍したのか、疲れ武者になってただ一人、黒の馬も紅栗毛と変じ、鎧の大袖小袖はズタズタに切れ、タッタタタと人なき所へ来る。

ソコデ藤吉郎はこの様子を見て、

藤吉「ヤア胸金物が庵に木瓜、それヂャこれが敵の先陣の大将、伊藤日向守、鬼と異名を取った大将か。ヨシヨシそれヂャ俺がこれを打ち取ってやろう」

そのうち伊藤の軍勢破れたによって、大道寺、深谷、倉鹿の兵は合戦を見積って引き上げる。伊藤日向守が、夕景に味方の引き上げる様子を見ておるトタン、藤吉郎が薮の中から飛び出した。

藤吉「ヤアヤアそれに控えたる敵将は伊藤日向と見うけたり。我は今川義元の臣浜名豊前守、その家来の松下嘉平治のそのまた家来の木下藤吉郎高吉というのは俺だ」

と名乗りました。伊藤日向守は嘲笑い、

伊藤「汝、家来のまた家来なぞと、その様な外郎の身を持って我に槍をつけるとは無礼千萬、退りおれーッ」

と白睨みつけた。

藤吉「なにを小癪なる」

藤吉郎、槍で日向守の乗ったる馬の尻っぺたを突いた。ヒヒーンと馬が前足を上げまして、流石の日向守も馬より落ちた。ただ一突きと藤吉郎の突き出す槍を、流石は日向守、ヒラリ避けながら起き上り様に陣刀引き抜き、ただ一打ちと切りかける。

藤吉郎は一足下って来り出す槍先は激しく、右にかわして左に避けて、破軍流の極意を現わし、彼方へ飛べば此方に飛ぶ。合間にはチョイチョイと突く。その早業に流石の日向守も、進退しどろに苦しめられ、

今はと、藤吉一声、

藤吉「ヤッ」

鋭く突いた槍は過たず日向守が脇腹を深く突き通し、北条名代の豪傑も哀れ藤吉郎の槍先に落命した。

藤吉「〆たッ」

と槍を引っこ抜き、忽ちに首を上げました。

弓袋から系図を取り出すと見込みは違わず、伊豆の堂々たる伊藤日向守だ。ソコデ鎧兜、陣刀、軍扇を一つにまとめて首を槍先に貫いて、松下の陣中をさして帰って来る。

今川方は合戦に大勝利を致しましたから、松下嘉平治もお喜びになって、陣中に帰って来たが、藤吉が見えない。

山崎喜一郎にお尋になりますると、見物に出たきりで帰らないと云う。さては敵の流れ矢にあたって生命を落したか、なにしろ気づかわしいと心配をしている所へ、鎧を引ッ背負って大小を四本差し、首を貫いた槍をかついで藤吉郎がやって来た。

藤吉「旦那さま」

嘉平「藤吉郎、お前はどこへ参った」

藤吉「ただ今から私がお話を致します。旦那さま、伊藤日向守を私が打ち取りました」

嘉平「なんだとッ、馬鹿なことを申すな」

藤吉「イエ全くでございます」

鎧から陣刀、軍扇、それを見ると系図がある。全くだ。

それから松下より大将の今川義元に、これを申しあげる。大いに喜んで右の藤吉郎を同道せいとのご沙汰、ここで藤吉が取り得て参りましたもの、鎧、陣刀、軍扇、系図を残らず持って、義元のご本陣へ参りまする。

紫の幔幕を引きまして、大楯竹束残らず廻して、金の笹輪堂の馬印を押し立てて、大将義元は金実緋おどしろ鎧、鍬形龍がしらの前だてを打った兜、羽織を着して金銀鏤めた小刀に、虎の皮の尻鞘かけたる陣頭を佩いて、金の築台に強弓を立てかけ、近臣が名馬の口を取って守護する。

それぞれご感状を賜わった中で今日第一の働きは藤吉郎、やがてその首実検が済んだ時に松下嘉平治に、

義元「その方の家来藤吉郎なる者、敵将の伊藤日向守を打ち取り抜群の働き。宜き功臣なれば以来大切に使うべし。勲功感状よって件の如し」

と嘉平治に、感謝状を下すった。それだけでございます。

藤吉郎にはなにも下されない。サァ、藤吉郎もこれには驚いた。

藤吉「ヤアこんなケチな奴に仕えた日にャァ、俺はモウ出世が出来ねェ。こな大将ヂャ駄目だ」

と、ガッカリしている。それを嘉平治は慰めております。

スルトこの合戦は甲陽の武田信玄より、北条方へ山県三郎兵衛をつかわし、今川方へは山本勘助をつかわし、遂に今川北条和談の儀を取りはからう。ソコでいよいよ浜名も帰陣をすることになる。

藤吉郎、モウいけないと、これで主人を見限ってしまった、なんとなく藤吉郎の気がガラリ倦んだように見たから、松下嘉平治も考えた。

失なってしまうには、藤吉郎は惜しい家来だ。逃げられてはならない。これを引き止めておくのは女に限る、とこう思ったから、山崎喜一郎にお菊という娘がある。さして別嬪というほどではないが、まず十人並、すぐれている方だからこれを媒酌して夫婦にさした。

藤吉郎はイヤイヤながら、ここへ足を留める。お菊は嫌々ながら、親父の言い付け主人のためと、よんどころなく夫婦になった。

ところへある一日のこと、一人の出家が藤吉郎の家に三面の大黒天を持って来る。これを売りたいという。藤吉郎がそれを見て、

藤吉「坊さん、その大黒は俺が買おう。百で売ってくれ」

坊主「よろしゅうございます。この大黒は三面の大黒天と云って、どこから見ても顔が真向きに見えます」

藤吉「ヘェー」

坊主「御武家では、この大黒天を授かった人は、三千の頭になると云うのでございます」

藤吉郎、服もボロボロで、せいぜい足軽頭くらいだろう、三千の頭になると云えば喜ぶだろうと、この出家は少々お世辞のつもりでこの話をしたのだが、これを聞くと藤吉郎、ムッとした顔をして、大黒を地面に投げ付けると、ナタで粉粉に壊してしまった。

坊主「アーなにをするのです」

藤吉「俺は生涯で三千人や五千の頭になって、喜ばしいと思うようなものジャない。だからこうして粉粉にして、一欠片に三千として、四五十万の頭になるんだ」

乱暴な奴もあったもので、坊主がポカーンとしておりますると、藤吉郎はニンマリと坊主の顔を見て、

藤吉「ところでお前さんは、敵国の間者だね」

と一言、

坊主「アッ」

と云って坊主は逃げ出してしまった。

藤吉郎は幼い頃に寺にいたことがございます。その時のことを忘れずにいた偽、あっさりニセ坊主と見破ったものと見えます。

この間者、上杉謙信の家来で、鳶加藤治というものだ。この者が立ち帰り、

鳶「今に東国に天晴れなる武将あらわれると存じます」

と申し上げた。こいつも剛気な奴だ。

さてある日のこと、松下嘉平治は鎧を新調したいと思い立ち、ある一日、藤吉を呼んで、

嘉平「今度鎧の良いのを新調したいと思うが、それについてお前の故郷尾州には大層良い鎧師があると聞いたが、そうか」

藤吉「ハイございます」

嘉平「尾州のどこだ?」

藤吉「笠寺にございます」

嘉平「なんというのがよろしい」

藤吉「なにといって、これは笠寺には沢山に種類がございます」

嘉平「それじゃそこへ行って、宜しいのを注文して貰いたい」

藤吉「承知いたしました」

嘉平「金子はこのくらいでよかろう」

と見積って金子を渡す。それを預る。藤吉、八幡宮へ額を奉納したいからと家中の者の金を集めて金二枚、銀十二片集まる。

藤吉「お菊、私は尾州へ行くが、お前は一緒に行くか」

お菊「イエ妾はお前と一緒に行くのは嫌じゃ」

藤吉「お前が嫌というのなら、それでいい。ただし後で後悔をするな」

お菊「後悔なんぞ致しません。つきましては、お前さんが尾州へ行って帰って来るか来ないか分らないから、私に離縁状をおくれ」

藤吉「アーそうか。そんなら離縁状をおいて行く」

ここでこの女が離縁を取ったァから、後に出世が出来ない。この人の女房になっていれば、後には大政所と仰ぎ奉られるのだ。人間は分らない。覆水盆に帰らずだ。こればかりは、仕方がない。その時の主人松下にも、書付を一本置いて行く。

主家に怨みあり。我は持逃げにあらず。金二枚銀十二片受取そうろう也

あばよ

木下藤吉郎

松下嘉平治どの

ソコデ藤吉郎が浜名を立って、遠州平泉というところに来ると、一人の武士がいる。よくよく見ると、前に三州岡崎の手前で出くわして、飯屋に置いて来た武士だ。先方はキョリョキョロ見ているから、此方も見る。ついには有明山に登って来る。ここに於てその武士が、

△「我は尾州会堂郡蜂須賀村の蜂須賀彦右衛門正知という者、御身は尾州の者と承ったが大層立派に成長した。我と同道をさッシャい」

ここで初めて木下藤吉郎高吉と名乗った。

蜂須「あの節は関の孫六の刀で、俺も大きに迷惑をした」

藤吉「左様でございますか。どうもお気の毒様でした」

それから蜂須賀の所へ行って、彦右衛門の倅正勝が木下を饗応する。

稲田甚兵衛、服部源弥、海老名勘解由左衛門、松原内匠、日比六太夫、これらの家来と会って話をすると、皆がどうも藤吉郎という奴は豪い奴だと感心をした。

サア、藤吉郎は蜂須賀の一党と兄弟の盃をなし、とうとう仲間にしてしまいやがった。後に天下を取る人でございますから、豪さというのは分るものであったと思われます。

蜂須賀の面々と再会を約して、中村に帰ってくると、どうも父の弥助は隠居をしていた。それで二代目弥助という婿が出来、親父は築阿弥となっている。

○「ヤア、藤吉が帰って来た」

と一同のものが喜んだ。両親は転げるようにして、姉のお仲が野から帰って来て、

お仲「藤吉どん、帰ってござったのか。懐かしゅうございます」

ワッとばかり泣きい出す。ところへ上中村の鍛冶屋五郎助、桶屋市右衛門、鳶柄の作兵衛、浅野村の弥太夫、片桐村の介八、杉原村の七郎兵衛、この十余軒の親戚を集める。藤吉が帰って来たと、まずは披露をしてソコで築阿弥が親類の者に向って、

築阿「お前さんがたから、藤吉に言い訳をしてくれろ」

藤吉は不審に思って、

藤吉「お父さん、なんでございます」

△「他ヂャねぇがお前の行方が分らねぇんで、築阿弥どんが豪く心配をして、当家に跡継ぎがねぇから、我の姉のお仲へ斎藤家の浪人弥助を婿にしたんじゃ」

藤吉「そんなことなら、決っして心配なさいますナ。私のためには誠に結構でございます」

この弥助が後に木下右馬頭久吉となる。この弥助の倅が、三好孫七郎秀次という。弥助の木下右馬頭が、死去した後に、弥助の女房が孫七郎をつれて、三好武蔵守入道一郎のもとに再縁をした。それでこの子を三好孫七郎秀次と云うんだ。

この三好孫七郎秀次の妹、お作というのが、徳川家康の奥方となって、お作の方と云った。このお作の方が、南明院殿と申したが、これは後のお話でございます。

ここで藤吉郎は親類一同の前において、富士川において伊藤日向守を打ち取った功名話をする。

△「どうも豪いものになった」

と一同が驚いている。父の築阿弥も母親も涙を流してその功名の物語を聞いている。

ソコデ藤吉郎は、出世の為に良い大将を選ばなければならない。この頃は二十八将あって、俗に二十八天下と云ったくらい。誰にしようかと段々に考えたが、自分が従うべき者がない。

スルト灯台元暗し、織田備後守宣秀の三男吉法師丸、後に三郎信長、これより他に大将はないと信長公に使えることに致しました。

文武両道の藤吉郎は、追々に足軽大将から出世を致して、中国探題、織田家の四老臣となって天正十年六月十三日、山崎で明智を滅ぼします。

続いて賤ヶ岳では佐久間柴田の北国の大軍を破って御勝利、天正十二年に徳川家を相手に戦ったが、これ小牧山にて些か軍配の掛け違いがありまして、それより天正十三年に四国をお手入れ、長宗我部を降伏いたさして、それから天正十五年が九州征伐、いよいよ島津親子が秀吉に従う。

最も島津父子が従うというのは、深い理由がありまして、秀吉は薩摩を格別にお用になりましたくらいでございます。

いよいよ天正十五年十八年が小田原の北条征伐、日本六十四洲はいずれも秀吉の武徳に従うことに相成りました。

ご身分も太政大臣にまで昇進あそばしたが、まことに楽しみがない。一人のお子様が出来たが、間もなくお逝去れ、モウ秀吉いよいよツマらんことと思し召し、古しえの花山の院様、あるいは最明寺時頼に習って、日本六十余州国巡りを致そうという思い立ち、その身も剃髪の後に覚悟、サア五奉行の人々は心配して、意見を致すといえども更に用いない。

秀吉公は世の中が、つくづく嫌になった。細川幽斎を供として、回国のご決心をしてしまった。

大谷刑部吉隆、石田治部小輸三成、長塚大蔵太輸、増田左衛門佐、前田徳善院、これらの人々が額を集めて、代る代る意見を述べてお制め申し上げたが、更にお用いがない。

ところへ曾呂利新左衛門、こいつは太閤のお気に入り、この新左衛門が出て参りました。

新左「これは五奉行のお方々、なにをご集会に相成りまするか」

三成「イヤその方が出る所ではない。控えおれ」

新左「ハッこれは石田殿の仰せでございますが、私も殿下のご寵愛を被っておるもの。なにか殿下のことについてご心配あらせまするなら、新左衛門にもお聞かせくだしおかれたく、膝とも談判ということがございますから、あながち殿下の心配を新左衛門が承って、分らんと限ったこともございますまい。どうかお話を願いたい」

三成「その方ごときが承っても、益なきことだ」

新左「イエ益なきことと仰せられまするが、なにも私は殿下のご心配を承り、益にありつこうという精神ではござらん。共に心配つかまつりたい精神でござる」

上席の大谷刑部吉隆、

大谷「石田殿、暫くお控えあれ。こりゃ新左」

新左「ハハ」

大谷「その方はよく申した。ともに心配をいたしたいと申すは、君臣の道を弁えた口上、殿下はこの度、ご剃髪をあそばし古の花山院帝、または最明寺時頼にならいて、日本六十余州国回国をあそばすの仰せ出だされて、我々は代る代るご意見を申し上げるといえども、更にお用いなく、それゆえ心配いたしておるのヂャ。なにかその方に良い工夫はあるまいか」

新左「ヘエヘエなるほど、これは御一統様のご心配もご無理のないこと。しからば新左が、ちょっとご意見を申し上げるでございましょう」

大谷「左様ならばその方に頼むであろう」

新左「心得ました。万年の亀の寿命に比ぶれば、鶴は十羽で一からげなり、と申すようなわけで……エヘヘヘ」

大谷「余計なことを申さないで、早く行ってお制め申し上げてくれ」

新左「ヘイ畏まりました」

と殿下の御前に罷り出まして、平身低頭をして、

新左「殿下麗しき尊顔を拝し、恐悦極く存じ奉ります」

秀吉「新左、出ましたるか」

新左「ハハッ」

秀吉「アーこりゃようこそ罷り出でた。近うすすめ」

新左「ハハッ恐れながら伺い奉る」

秀吉「なんヂャ」

新左「殿下はこのたび古しえの花山の院帝様、最明寺時頼の例に習い、日本六十余州国回国を仰せ出されましたが」

秀吉「この度、余は決心を致して剃髪いたす。細川幽斎を供といたして、回国まかり出るぞ」

新左「アーこれはよいことを思い立ちました。願わくば新左衛門、御供願いたてまつる」

秀吉「オオ幽斎に加えて、新左衛門、その方が来るなら、また格別面白きことであろう。供を申しつける」

新左「ハハありがたく日本国中の名所旧跡を尋ね、その都度に殿下のご名吟、また幽斎に新左衛門が狂歌なぞいたします。そうやってお楽しみをして、御回国あそばすりゃ、こりゃ結構なこと」

五奉行の人々はこれを影で聞いて驚いた。

大谷「コリャご意見どころヂャァない。頻りにお勧め申している。けしからん奴があるものだ。困った奴だワエ」

と皆が眉を顰めておられる。新左衛門はなお殿下に、

新左「しかし荷担ぎなくてはかないません。今一人の供を、お従えあそばしますよう」

秀吉「ムそれは何者ヂャ」

新左「私の弟、弥助でございます」

秀吉「ハアその方の弟の弥助」

新左「ヘエ、この者は天狗退治の名人で」

秀吉「ナニ天狗退治の名人ヂャと。また余を担ぐつもりジャな」

新左「担ぐどころじゃございません。全く本当の話で、ヘエ、それは先頃、弥助めが鞍馬山を通行いたし、くたびれまして岩角に腰を打ちかけて休息いたしましたるところ、大きな山伏が出てまいりました。見上げると身の丈は三丈ばかり、弥助は腹の中で驚いて、これは天狗に違いないと思いまして、

弥助「エーこれは山伏、なにか御用か」

天狗「ウン我はこの山に住む天狗なり。汝を取り喰らわんために、これへ出た」

弥助「それは大変、どうぞ生命ばかりはお助け」

天狗「イヤ助けるわけには参らん」

弥助「デハいよいよ私をお喰いになるのか」

天狗「如何にも、貴様をきっと喰う」

弥助「左様ならば致し方がない。あなたのために食われます。その代わりと云ってはなんでございますが、あなたは通力自在でございましょうから、この世の名残にお見せ下さい」

天狗「もっともだ」

とこう云いましたから、初め天狗は体を大きくし、今度は小さくしてもらい、モットモットと段々小さくして、最後に一寸ばかりになったところを掌へ乗せて口を開いてその手具をバックり奥歯でガリガリとやって、呑んでしまいました」

秀吉「またしてもその方、戯れを申すか」

新左「イエ戯れではございません」

と、これから新左衛門、天狗も大きく五六丈になった時には身震いをして縮み上ったが、小さく掌に乗るようなればかくの如し。殿下も今日は大政大臣の御位のご威勢に恐れて万民服しておりまするが、さしも僅か二三名のお軽装でご回国遊ばさるれば、殿下のために国を失い、あるいは主人を打たれ、親兄を殺されし等の恨みを抱く者なぞが、復讐の念を起さんとも計りがたく、誠に危うきことでございますと意見申し上げたので、流石の殿下も成程と、この新左衛門の諫言で回国の思し召しお止まりになりました。

その後に、朝鮮との戦争、前後七ヶ年の間、彼の地に日本の軍勢を置かれましては、道を蹂躙しさらに大明まで攻め靡かせんという思し召しのところ、半途にして慶長三年十月、伏見においてお逝去となる。京都の阿弥陀ヶ池にご尊体をご葬送たてまつり、豊国大明神と崇めたてまつりました。

まず秀吉の御一代の大略は、かくのごとくでございます。

豊臣秀吉 終


真龍斎貞水口演

石原明倫速記

かのとみ編集

changed November 25, 2010